『QED ベイカー街の問題』

高校のころからの友人にミステリーマニアの奴がいまして、
年末の同窓会で彼にQEDシリーズ』のことを話したら、
全巻持ってるから貸してやるという
ありがたいお言葉をいただきました。
で、今日、わざわざうちまで持ってきてくれたので
お茶飲みながら軽くミステリー談義。
ヴァン・ダインの20則がどうのなんて話をしてました。
さすがにマニアの話には含蓄があって面白い。


彼が帰ったあと、早速、読み始め1冊読了。
このQEDシリーズ』、以前にも書いたように
基本的には日本史ミステリーがテーマのお話なのですが、
今回読んだQEDイカー街の問題』はタイトル通り、
シャーロック・ホームズの謎がテーマ。


以前にも書きましたが、
僕はホームズを読んだことがありません。
正確に云うと、最後まで読んだことがない、かな。
大学の頃に付き合った彼女が、
立て続けにシャーロキアンだったので、
いくつか勧められて読んでみたのですが、
どうも僕は外国文学というのが肌に合わない。
あの”訳しました”的な文章に馴染めないんですよねぇ。
なんで僕の中のホームズのイメージは
宮崎駿氏の描いた”犬”です。


そんなホームズをまるで知らない僕が読んでも、
このQEDイカー街の問題』、面白いお話でした。
シャーロック・ホームズという架空の人物、
架空の歴史の謎をといていくという
メタ的なところが良いスパイスになっている感じ。
特にホームズ=◯◯◯◯という考察は
こういう視点でホームズを読むとすごく面白いんじゃないか、
と思わせられました。


でも、やっぱり、僕の中のホームズは
宮崎ホームズなんだろうな、これからもずっと。


『つまり、シャーロキアンというのは。
 虹を追っている人間のことなんだ。』


QED ベイカー街の問題 (講談社文庫)

QED ベイカー街の問題 (講談社文庫)


本家イギリスでは”シャーロキアン”ではなく、
ホームジアン”というそうです。
なんか、語呂悪いよねえ。
シャーロキアン”のがカッコいい。